私には密かな野望があった。ヨーロッパの辺鄙な土地を旅し、日本であまり知られていない名作を探し出し鑑賞することに優越感を覚えるのである。
今までも、このコラムで紹介したポライオーロの『マグダラのマリア』を見にポッジボンシそばにある小村に行ったり、一人でドイツの田舎にあるリーメンシュナイダーの作品を巡ったこともあった。
この前はコモ湖近郊、チヴァーテ村の山上にあるサン・ピエトロ・アル・モンテ教会までロマネスクの壁画『黙示録』を見に一時間半の山登りをした。
貴重なイタリア旅行中に無駄な努力をしているように思えるが、この労苦がその作品の真価を一層引き立てるのだった。
その間、観光客には誰一人会わず、現地人にも、あまり出会さず、静かにゆっくりと芸術世界に入り込める喜びを知ると、新たな野望心がむくむくと沸き上がってくるのだ。
この楽しみが足下をすくわれるはめに落ち入るとは、その時まで想ってもいなかった。
さて、次なるターゲットはと物色していたところ(物色しなくても見たい作品は山ほどあるのだが…)、かねてより、とても憧れていた作品ジョルジョーネの『カステルフランコの祭壇画(1504年頃)』。
パッラーディオ巡りをしていたついでに、「寄ってしまえ」とばかりに、田舎町カステルフランコへと車を誘導させた。
カステルフランコに見るべき作品は一点、それのみである。
ジョルジョーネの絵画が見られるかと想うと、心がときめき動悸が激しく波打つ。
32歳で夭折したため、彼の真筆と認められた作品は少なく、カステルフランコで生まれたことは確かなのだが、その後の資料も乏しい。
著名な作品で私が見たものはアカデミア美術館にある『嵐』と『老婆』だけなのだが、その二点のみで、彼が類い希なる才能があったことは一目瞭然である。
カステルフランコのジョルジョーネは、画集を見ただけでも、高貴な香りが漂ってくる。
人間に例えるなら、どういう人だが、あまりよく知らないけど、少し影のある美男子に会いに行き、その近づきがたい魅力にうっとりとしてしまう。
牧歌的な抒情性のある自然空間に包まれ、ロマンチックな気分に浸りつつも、逢瀬を重ねるほど、ますますわからなくなるというような、不思議な感覚の絵を描く。
さあ、念願のジョルジョーネ。ガイドブックにある通り、大聖堂の右端、依頼主であるコスタンツォの礼拝堂の奥にあった。
でも、鉄格子の中、遠くてよく見えない。でも、あの影を落とした人物像、祭壇に使われている布の質感、遠景に包まれる美しい自然描写。
これぞ、まさしくジョルジョーネの世界、私が夢見た世界だと感動した。
その日の夜は、ジョルジョーネの甘美なささやきを思い出しながら、ホテルから眺める庭の草木を愛でつつ、ワインを飲んだ。なんて幸せな一日だろう。
だが、翌翌日、衝撃的な事実が発覚した。
ジョルジョーネの面影を胸に、アカデミア美術館に訪れたところ、肝心のジョルジョーネは他の美術館に貸し出し中。
でも、カステルフランコで堪能したからまあいいかと思っていたら、私の目にあの『カステルフランコの祭壇画』が飛び込んできた。
何故?頭に疑問符が一杯生まれる。「どっちが本物なの?」と。
私はすぐに係員に聞きに行った。
係員は、「アカデミアで修復し終えたところの展示だから、こっちが本物よ。」と答えた。
じゃあ、あの鉄格子の奥にあった絵はコピーだったのか。
コピーだとどこにも掲示しておらず、観光客用のライトまで点く仕掛けになっていたのである。
私はショックで訳が分からなくなり、美術史家のプライドがズタズタに引き裂かれた。
専門書を読むと早急な修復の必要があり、保存状態が保てないので、2002年の2月にアカデミア美術館が修復を開始したと書かれていた。
私の自尊心に鋭いメスが入った。“野望”などといって浮かれており、謙虚な気持ちで作品と向き合わなかったので、天から罰が下ったのである。
これからも私のこの密かな趣味は続行されると思うが、この教訓を胸に抱き、精進していきたいと思っている。

畷 絵里 先生
桃山学院大学
イタリア語・イタリア美術講座講師
神戸女学院大学
イタリア語講師
NHK文化センター 大阪校
イタリア美術講座講師
NHK文化センター 西宮北口校
イタリア美術講座講師
神戸日伊協会
神戸新聞文化センター(KCC)
イタリア語主任講師・イタリア美術講座講師
など